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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ■23日、29年の“任務完了” 大阪・ミナミの南海難波駅にある人気待ち合わせスポット「ロケット広場」でロケットの撤去準備作業が10日深夜から始まった。同駅改装工事の一環で、平成21年に新しいスペースに生まれ変わる。駅にロケットという「奇想天外」な組み合わせで鮮烈なデビューを果たしてから29年。携帯電話の普及とともに難波駅のシンボルは、その役割を終えようとしている。(内山智彦) ≪奇想天外≫ 「社内でもなぜロケットなのかという意見もありました」。南海電気鉄道のグループ会社、南海都市創造の小川洋常務(58)が振り返る。 昭和40年代後半、南海は商業施設「なんばCITY」の建設に向け、難波駅の大改修工事を計画していた。地下1階から3階にできた1200平方メートルの空間をどう活用するか。小川さんらが議論を交わしていた。 社内の案ではオブジェを置くことで一致していたが、なんばCITYをプロデュースしたグラフィックデザイナーの田中一光さんが提案したのがロケットだった。「宇宙技術が未来を開く。ロケットは未来都市のミナミにふさわしい」。 アポロ11号の月面着陸(44年)▽日本初の静止衛星「きく2号」打ち上げ(52年)▽米映画「スター・ウォーズ」公開(53年)。巷では「宇宙」がブームだった。 南海は、なんばCITYを起爆剤に流通事業へ本格参入しようとしていた。「流通には、時代の先をいく発想が必要。最後はその意見で一致した」(小川さん)。 ロケットがある吹き抜け空間はもともと商業施設を想定し、建築確認も受けていた。しかし、当時デパート火災が多発したことを受け、当時の建設省が火災時の排煙場所として吹き抜け空間に変更するよう指導。急遽(きゅうきょ)設置した想定外のスペースだった。大阪市立大都市研究プラザの橋爪紳也教授は「結果的に、予想外の建築がミナミらしくなった」とみる。 ≪2度の危機≫ 高さ33メートル、重さ18トンのロケットは、きく2号を打ち上げたNロケットのレプリカ。Nロケットをつくった三菱重工業に製造を依頼し、側面には当時のNASDA(宇宙開発事業団)のロゴを入れる凝りようだ。 53年11月にCITYがオープンすると、ロケット広場はすぐ阪急梅田駅のビッグマン前と並ぶ、大阪を代表する待ち合わせ場所になった。 だが10年後、1回目の「危機」を迎える。定時に鐘で音楽を奏でる「カリヨン」を設置する案が浮上したのだ。しかし、CITYの入居店舗でつくる「なんばシティ会」が反発。当時、プロ野球南海ホークスの売却話が出ていたこともあり、市民からも批判の声が起こり、取りやめた。 2回目の危機は、関西国際空港の開港を翌年に控えた平成5年。難波駅2階に設置された航空会社のチェックイン施設にエスカレーターを設置することになった。その際、ロケットが邪魔との意見から再び撤去案がもちあがったという。 ≪新しい難波≫ ロケットは、まったく手がかからないのが特徴だ。設置以来、これまで最大のメンテナンスは平成2年に行ったペンキの塗り替えだけ。「金がかからず、よく目立つという、待ち合わせ場所の優等生」だった。 だが、隣接する高島屋の増床工事に伴って難波駅も改装されることになり、ロケットの撤去が決まった。携帯の普及で人々の待ち合わせ方法が変わったことも背景にある。ロケット撤去後の新スペースは「ウェルカムロビー」と名付け、天井をガラス張りにした吹き抜け空間になる。ロケットに変わるモニュメントを置く予定はない。 20年前は撤去に反対したなんばシティ会だったが、現在の池上輝幸会長(69)は「撤去でなく、発射と考えたい。新しい難波の始まりだ」。23日深夜、ロケットは6分割されて役割を終える。 8月11日21時53分配信 産経新聞 PR ![]() ![]() |
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